スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

北京原人についての小話





「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」という本を読んでいます

(もちろん、タイトルは同タイトルのゴーギャンの絵画からとられているのですけれども、
 この絵画をみると、なんだか原初的な混沌といったものを感じて不安になるのは、僕だけでしょうか)。


この中で、北京原人が「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」と紹介されていてビックリしました。

「シナントロプス・ペキネンシス」という北京原人の学名を覚えているのが、

数少ない僕の「へぇー」の元だったので、残念です。


しかも、そう遠くない過去になにかの拍子に北京原人の学名が「シナントロプス・ペキネンシス」だと、
他人様に話したような気がするんですよね。


相手が誰だったのかさっぱり覚えていないので、
その人がそのことを覚えることなく、
いっときの雑談のネタとして忘れていることを祈るばかりです。


ちなみに、旧学名の「シナントロプス・ペキネンシス」を覚えたのは、

子供の頃に「北京原人展」という展覧会に連れて行ってもらい、そこで覚えたような気がします。

ただし、その「北京原人展」で、

父親に「さっきの展示とこっちの展示どっちが古いん?」などと質問攻めにしたところ、

おそらく父自身もわかっていなかったために逆ギレされ、

「お前には自分で勉強するという心がないのか!!」と

会場でキツい口調で叱責され、その後の展示を泣きながら見たのは、
今になっても拭えない苦い思い出です。
スポンサーサイト

テーマ : どうでもいい話
ジャンル : 日記

天下三不如意、賀茂川の水について補足





先日、ここで、「平安王朝」読書メモという文を書いたのですが、

そこで

>で、思ったのは、白河院が言ったとされるいわゆる「天下三不如意」(てんかさんふにょい)、

>「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」

>すべて意のままになる白河院でもこの三つは意のままにならないということなんですが、
>高校の日本史で習ったときや、この本を読んだときも特別気にならなかったのですが、

>いま読んで思うは、

>「最高権力者なら、賀茂川の治水工事をすればいいじゃないか」

>ということです。
>中国の権力者なら、人気取りにもなりますし、治水工事をすると思うんですよね。


>治水工事をするという発想がなかったのか、
>技術がなかったのか、
>お金がなかったのか、


>いずれにせよ、最高権力者というには小さいなと思ってしまうのは自分だけでしょうか?


(>部分前回のまま引用)
と書いたのですが、

朝廷としても、洪水対策をしようという意志はあったようですね。

別の中世史の本を読んでいた際に、登場人物の藤原顕隆を検索したところ、

彼についてのウィキペディアの記事の中に、

「防鴨河使」なる官歴があるのを発見。


官職要解で調べてみたところ、

防鴨河使…ぼうかしとよむ。鴨の字は省いてよまぬ例である。なが雨が降ったときは、鴨川に出水して損害をうくることがしばしばであったから、臨時にこの役をおいて、堤防の崩壊したところなど修繕して浸水をふせがせた。『夫木抄』に「かも川をふせぐ司(つかさ)もこころせよつつみくづるるさみだれの頃」と見えている。長官一人、判官、主典各二人で、検非違使の佐・尉・志などをもって任じたのである。


との説明がありました。

藤原顕隆は白河院政期の人物ですし、いちおう治水しようという意志はあったが、

資金なり、技術なりの問題でできなかったのだということで、多少は納得しました。


ただ、「寺社勢力の中世」の中世京都地図(P.35)によると、

鴨川の堤防は、一条から四条坊門までで、
これだと二条以南のいわゆる下京は大雨が降るとあっという間に水浸しですよね。

堤防を延長しようという気はなかったのでしょうか。


上の中世京都地図と本文中の記述によると洪水の危険地帯は、東洞院通あたりまで拡がっていたとのことで、

いまの四条通でいうと

大きな地図で見る
大丸京都店の西の通りまでが、
大きな意味での鴨川の河原のような状態だったということなので、

天井川の鴨川をもてあまして、

「貧乏人が住んでいるような河原などしらん。いやなら別のところに住め」ぐらいの感覚だったのでしょうか。

(ちなみに、河原とされる地域にもたくさんの人家が立ち並び、
 流水量が少ない時期には、その建物を伝って鴨川を渡って火事が延焼する様子だったそうです)


京都市の歴史資料館の関連ホームページ上でも、

> 寛文9(1669)年鴨川両岸に新しい石堤の築造が開始され,翌年完成しました。
>この石垣を寛文新堤(かんぶんしんてい)といいます。
>この護岸工事が行われるまでは,鴨川は左右に河原が広がる自然河川でした


と鴨川は中世期はほぼ堤防がない状態であったと記述されています。

こんな状態で、

白河法皇に「おれは京都という都市の王様で、思いのままにならないことなど三つしかない」

と威張られても納得しがたいのですが、
あたり前ですが、これはいまの感覚から見ればということで、

為政者も庶民の側も、これが京都の普通の姿だ、ぐらいの受けとめ方だったのかもしれませんね。


水害がでれば、衛生面でもとても問題があるでしょうし、
「普通」と受けとめるにはあまりに過酷な「普通」なのでしょうが。


ちなみに、上記「寺社勢力の中世」と同じ著者の「無縁所の中世」は、
ものすごく興味深く、日本の中世を見る目が180度変わると言いたくなるぐらいの本です。

機会があったら、また感想文なりメモなりを書きたいと思います。

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

手持ちの本の紹介?






古い本ながら、立て続けに本が2冊割れたので、驚き。

背をくっつけているのりが経年による変化で固くなっていたのかな。
古い本を片手で横着に持つもんじゃありませんね。

IMG00316a.jpg

IMG00317a.jpg

IMG00318a.jpg

IMG00319a.jpg

IMG00320a.jpg

ちなみに割れたのは、手前の2冊。
中公の「日本の歴史」シリーズを大きさ違いで持っているところが、痛いところですね。

ちなみに、文庫では新版がでていて、
外見は黒で統一されて、巻末に最近の研究の成果を補った解説がついて販売中です。

鎌倉幕府

南北朝の動乱

ともに1,300円かあ。
文庫本にしてはちと高い。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

イタリア共和国記念日





今日、フィアットグループのクリック募金を久しぶりでクリックしたら、
(リンクを貼ろうとして、クリック募金は「click donation」なのだと気がついた。
 donation(ドネイション)といえば、インドで覚えた数少ない英単語。
 いずれ機会があったら、その笑い話を書きたいと思います。)


6月2日

イタリア共和国記念日
第二次世界大戦終戦翌年の1946年6月2日に共和制へ移行しました。
祭日になっており、「イタリアの誕生日」をみんなで盛り上がってお祝いします。


とのカラフルなメッセージが表示されました。


そういえば、世界史の授業で
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」と「赤シャツ隊」

ドイツ帝国とイタリア王国は、統一の遅れた「遅れてきた先進国」みたいなことを習ったけど、


いまは、共和国。


第二次世界大戦後に、
国民投票で、共和制に移行していたんですね。


そんなことも知らない(もしくは習っていても覚えていない)とは、
恥ずかしい限りですが、

日付は覚えられないかもしれないですが、
そういう事実があったことは忘れないようにしよう。


退位した国王さんはどうなったのかと思い検索してみると、

最後の国王「ウンベルト2世」は、

ポルトガルに亡命して、スイスのジュネーブに滞在中、
1983年3月18日に亡くなってるんですね。


この方が亡くなったときのニュースも見ていて不思議はないのですが、
まったく記憶していなかったです。


イタリアは日本と同じで、政治がもうひとつ安定していないような印象がありますが、
この日は、そんなこと関係なく盛り上がるんでしょうかね。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

プロフィール

ごっちゃん親父

Author:ごっちゃん親父
こんにちは。
身近な出来事を駄文ながら綴りたいと思います。

スポンサードリンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。